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想い出cameraパートⅢ

カテゴリ:金沢城( 4 )

#131 金沢城 その④

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旧弟六遊団司令部

明治31年に建てられた木造平家建て 床面積196m2の建物です 当時は 陸軍本省が各師団建物の設
計をしていたため 全国に同様の建物が建てられました 金沢大学時代には 教育開放センターとして利
用されていました


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切手門

切手門は 金沢城公園に残る江戸時代創建の建造物の一つで 御数寄屋(大奥)へ通じる最後の門でし
た そこを通るためには 切手(通行手形) が必要でそれを改める番所があったと言われています
現在は 旧第六旅団司令部の建物への入口になっています


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4月8日撮影 ISO400 RAW現像
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by renchiyan3 | 2016-04-25 05:33 | 金沢城 | Comments(10)

#129 金沢城 その③

三十軒長屋
金沢城の三十間長屋は重要文化財に指定されています
幅3間 長さ26.5間ほどの2階建ての多聞櫓です 金沢城や熊本城では多聞櫓を長屋と呼んでいました

本丸付段に安政5年(1858)に再建された長屋で 金沢城に現存する長屋建築としては唯一のものです
宝暦の大火(1759)で焼失した後 100年近くたって再建されました
幅3間 長さ26.5間余りの2階建て多聞櫓で 鉛瓦葺の堅牢な構造が特徴的です

城内に金沢大学があったと時は書庫に使用されていたそうです


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4月8日撮影 ISO400 RAW現像
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by renchiyan3 | 2016-04-24 05:11 | 金沢城 | Comments(4)

#128 金沢城 その②

橋爪門

橋爪門は 寛永8年(1631)の大火後に整備された二の丸の正門です 高麗門形式の「一の門」 石垣と
二重塀で囲われた「枡形」 櫓門形式の「二の門」からなる枡形門で 枡形は城内最大の規模を誇ります 
「石川門」 「河北門」とともに「三御門」と呼ばれ 二の丸御殿へ至る最後の門として 通行に際しては三御
門の内で最も厳しい制限がかけられ また 二の門の床には二の丸御殿と同じ敷き方で戸室石が敷かれる
など格式の高い門でした 文化五年(1808)の二の丸火災で焼失した後 文化六年(1809)に再建された姿
を復元しています
今回の整備では 平成13年に復元された「一の門」に続く 「二の門」と「枡形二重塀」を復元することとし平
成24年6月に工事着工 平成27年3月に完成しました


金沢城三御門

金沢城内の各曲輪(くるわ)をつなぐ城門の内 特に重要であった「石川門」「河北門」「橋爪門」を「金沢城三
御門」と呼んでいます 「石川門」は宝暦の大火(1759)後 天明8年(1788)に再建されたものが現存し
国の重要文化財に指定されています 「河北門」は平成22年4月に史実に沿って復元され 今回の「橋爪
門」の完成により 「三御門」全てが整い 三の丸一帯の江戸後期の景観がよみがえりました


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極楽橋

二の丸から三十間長屋のある本丸附段へ渡る所にある橋で 昔 金沢御堂に参詣する人は朝 念仏を唱
えながらこの橋を渡り 夕方 日本海に沈む夕日を拝んで極楽往生を願って帰ったと云われている 擬宝
珠のついた木製の素朴な橋で この度 修復された


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4月8日撮影 ISO400 RAW現像
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by renchiyan3 | 2016-04-23 04:32 | 金沢城 | Comments(4)

#127 金沢城 その①

金沢城は1546年に本願寺が金沢御堂を創建したことに始まります その後1580年に織田信長の命を受
けた佐久間盛政が金沢御堂を制圧入城し尾山城としました 1583年に前田利家が入城し1869年(明治2
年)まで加賀藩前田家14代の居城として金沢城が置かれました 金沢城はその後終戦まで陸軍の拠点とし
て用いられ その後1995年まで金沢大学キャンパスとして利用されていましたが1996年から金沢城公園
として一般に開放されるようになりました 度重なる火災によって消失した金沢城は1999年に着工され200
1年7月に菱櫓・五十間長屋 橋爪門続櫓が完成しました 菱櫓・五十間長屋 橋爪門続櫓は1809年金
沢城再建時の姿に可能な限り忠実に復元されているそうです 金沢城公園では今後も復元の規模を広げる
計画があります
金沢城公園は兼六園に隣接しており菱櫓・五十間長屋 橋爪門続櫓の施設内入場以外は無料で開放され
ており 無料で見れる範囲でも見所が多く充分楽しめます また金沢城公園では季節ごとにライトアップや
和洋いろいろなコンサートや行事 催し物が開催されており市民・観光客を楽しませてくれます
金沢城公園は一般的には金沢城が見所と思われているようですが 金沢城はあくまでもレプリカです 金沢
城は100年後の国宝を目指しているということですが 金沢城の本当の見所は 金沢城の石垣などの城跡
ではないかと思います 金沢城公園で いろんな工法を用いて造られた石垣を見て散策するのも良いです
旧第六旅団司令部の裏側から石垣を外部から見て周る散策路も新たに整備されています


戦国時代 一向一揆で本願寺門徒の拠点となった金沢坊を中心に寺内町が成立し 安土桃山時代に佐久
間盛政が金沢坊を攻め落とした跡に尾山城を改築したのが、金沢城の始まりです
1583(天正11)年 前田利家が領有するようになると キリシタン大名で縄張りの名手高山右近の設計で
築城されます しかし 1602年には早々に天守閣が落雷で焼失 以後 天守閣は造られませんでした
江戸時代も加賀100万石と称される前田家の総本拠地として 城と町は大きく発展しますが その後も火災
で多くの建物が焼失 現在残る石川門は 1787(天明7)年に再建されたものです
明治維新後 兵部省(翌年から陸軍省)の管轄となり 大半の建物を失い さらに1949(昭和24)年には
金沢大学の建物が城に置かれました そのため 長らく金沢城は石川門と 手前にある兼六園を観光でき
る程度でしたが 1995(平成7)年に金沢大学が移転したことから復元工事に着手 2001(平成13)年に
は菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓 2011(平成23)年には河北門 2015(平成27)年には橋爪門と玉泉
院丸庭園が復元 かつての威容の一部を取り戻しています



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石川門

重要文化財に指定されている現在の石川門は 天明8年(1788)に再建されました 金沢城の搦手(裏口)
門で 高麗門の一の門 櫓門の二の門 続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門です ライトア
ップに浮かぶ姿も楽しめます

石川門は搦手(からめて)門 つまり金沢城の裏門です 裏門でありながら 特に堅固に造ってあるのは 小
立野方面からの攻撃に備えたもので ここが金沢城の一番の弱点で 攻撃されやすい場所だと考えられて
いたからです 石川門の最大の櫓(石川櫓)も菱形になっており 石落しも設けられています


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河北門

「河北門」は 金沢城の大手から入り 河北坂を上がったところに位置する「三の丸の正面」であり 金沢城
の実質的な正門です 「石川門(重要文化財)」と「橋爪門」と共に「金沢城三御門」と呼ばれていますが 金
沢城の建物の大半が焼失した宝暦の大火(1759年)の後 安永元年(1772)に再建されました
再建された河北門は 明治15年頃に無くなるまで金沢城の実質的な正門としての役割を果たしていました
約130年ぶりに甦った河北門は平成19年11月に着工し 平成22年4月まで約2年半の歳月をかけて完成
しました
復元にあたっては 現存する絵図 古写真 文献及び埋蔵文化財の調査結果を踏まえて 史実を尊重し
日本古来の伝統工法によって 戸室石による石垣積み 漆喰仕上による白壁 軸組をはじめとする木工事
及び屋根鉛瓦葺きなど 構造・仕上部材の細部にわたり石川の匠の技が発揮されています


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菱櫓

高さ11.7mの石垣の上に建築されており 3階建で 約17mあります 「櫓」とは「矢の倉」とも云われ 
武器の倉庫の意味ですが ここ菱櫓は主に周辺を見張る役割を担っていました

菱櫓という名前の通り 建物の平面は菱形で 四隅の内角は夫々80度と100度になっています 建物が
菱形の場合 柱も菱形です
この部屋の中に立っている4本の長さ14m 太さ33cmの桧の「通し柱」を始め 使われている凡そ100本
の柱も菱形で これらを使っての建築には大変な技術を要します


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4月8日撮影 ISO400 RAW現像
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by renchiyan3 | 2016-04-22 05:54 | 金沢城 | Comments(18)

やっぱりトンガリ帽子のカメラが好き・・・
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